日々の雑感

恥の多い生涯を送って来ました。キオクとかキロクとか。感情の赴くままに。

治らない。それが障害。

「あなたは治りません。障害だから」

 

自己受容がまったくできてない過去の私に当時の医者はそう言い放った。

発達障害

脳の器質障害。いろいろとかたよりがあって生きていくのは大変・・・

その程度のことしか知らなかった。

ましてや、大人の発達障害なんて診断してもらったときには

本やウェブで情報発信している人も少なかった。

私は診断をうけたとき、「ああ、やっぱりなー」ぐらいだった。

診断されたからといって、忘れっぽいのだとか

リズム的に動くことが難しいとか、不器用とか

治る気配はまったく感じなかった。

ただ、生きるための工夫はしないといろいろ不便なので

それを教えてほしかった。

ほかの人がどう工夫しているのか。

その片鱗を教えてもらうことで、私に落とし込むことができ

少しでもこの「生きづらさ」が減ればいいな、とおもった。

しかし、医師は投薬治療のみをするという。

投薬だけなら他院でもできるのでしばらくして通院の都合が

いい病院へうつった。

 

小さい頃から手のかからない子供だった。

持ち物を忘れていくことはときどきあったけれど

宿題はこなすし、テストもそこそこできていた。

しかし、私は母にいろいろ殴られて育った。

私が小さいながら、年のさほど違わない弟に嫉妬だったりで

意地悪したのが悪かったのだろうけれど、

それ以外にも不条理に殴られていた気がする。

おそらく発達障害の子供の育てにくさを感じていたのだと想像するけれど

当時はそんな言葉の片鱗なんてものもなかったので、

説明してもわからない子として映っていたのだとおもう。

 

発達障害の子の障害たるあたりは殴っても治らない。

寧ろ自己否定の道へまっしぐら。ウツになるだけである。

私自身、殴られまくって育ったせいか、愛情というものは

「条件付きの愛情」しか世の中に存在していないと思っている。

私に「一番の愛情」を注いでくれた人はいないと思っている。

実親ですら、弟の次に、私。という位置づけなのがよくわかる。

だから、今や「恋愛がー」とかいわれると「馬鹿じゃね?条件付きでしょ?」と

可愛げもなく言い返してしまう。

 

だから、周りの友達が無条件の愛情のもと育てられているのをみると

それだけでなんだか不快感だったり、嫉妬だったり、

とにかく仲良くできない気がしてしまう。

 

他人を愛することも、赦すことも難しい。

できないといってもいいぐらいだ。

これも殴られたって改善することはない。

こんな年齢になってしまってから改善させることも

正直「人間の中身を入れ替えろ」と言われているようなもの。

1日2日では治らないと思う。

 

こんな絶望感は、

 

1日を無駄に過ごし、

1年を棒に振り、

一生を台無しにするのだろう。

 

どうか、こんな人生、私で終わりますように。