日々の雑感

恥の多い生涯を送って来ました。キオクとかキロクとか。感情の赴くままに。

放置の果て

こんばんは。

 

久しぶりのエントリーです。

 

チラシの裏なのでどうかご容赦いただきたい。

 

暑さが少しマシになったせいだかはわからないけれど、ここのところの落ち込みっぷりがひどいのです。日常生活はなんとか送れているのですが、人と関わること全てが面倒になっています。SNSなんかももってのほかってレベルですね。このブログに関しては誰にも教えていないのでリアルつながりのある人がみることはおそらくないだろうと想定しています。SNSで「あー、生きてるのしんどい」なんて書くと怪訝な目でみられますからね、もうリアルで繋がってる人とはつながりたくないのですよ。

 

「誰もしらない世界へ行きたい」現実逃避のときの定型文です。お金と余裕があれば海外なんていうのもいいんでしょうが、現実は猫の世話とリアル生活があるのでどこにもいけずにヒキコモリです。TVのから騒ぎを見ているのもなんだか疲れてしまいます。

 

病院へいくと「それがウツだよ」といわれるわけですが、ウツ状態ってそんなに長く続けてられるもんなんでしょうかね?私はここ10年以上はずっとそんな状態ですけども、そんな中でもたまーに、ごくたまーに浮上することだってあるんですよ。浮上したあとはまた地下生活に戻るだけですけども。

 

そんなわけで地下生活に戻ります。誰にも会いたくない。

通院日

今日は通院日だった。

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※ 写真はPhotoACから拝借しました。

 

通院するぞと用意をはじめたら体調がなんだかだんだん具合悪くなってきた。

ここしばらく近所の内科でニンニク注射のお世話になっていたのだけど今日も「ギブ・ミー・注射」だった。ニンニク注射というけれど、実際に打っているのはビタミンB群らしい。何度も打ってもらってるわりにはニンニクのにおいと一緒なんて発想もなかったけれど、いわれてみてはじめて「なるほどなー」となった。それぐらい毎日ニブく生きてるのである。今日も診察で「どうですか?」ときかれ、ここ2週間ほどの体調の悪さを訴えてみる。私は「いつがいい状態なのだろう?」診察のたび、いい状態なんて本当はないんじゃないか?という気持ちになる。今日は診察にプラスしてニンニク注射をお願いする。最近は当局からの指導でビタミン注射もなかなかできないらしい。ナントモ世知辛い。幸いに毎度2時間以上はある待ち時間が今日はほとんどなかった。

 

と、ホント読みづらいだけの日常をつづってみる。

本日はグダグダのまま終了。

ハゲた。

ここ最近、とあるサイトの編集作業を手伝っている。

作業自体はそんなに疲れたとか嫌だという感じはない。ただ、身体は拒否反応を示していたのか、10円ハゲができた。何時間でも作業をしていられる過集中があるのは結構なのだが、ストレスで身体に反応がでるのはまずい。この年齢になっても「適度」な負荷がわかりにくい。認知行動療法などをつかって考えればいいのだろうけれど「適度なんて本当に個人差だろ?」という根底の考えがある限りどうしようもない。毎日コツコツ作業をしてでてくる適度なんて所詮定型発達の人のためだ。ラピッドサイクルでやってくる倦怠感に適度なんて言葉は見出し難い。基礎体力がなく、自律神経失調しているこの身体、本当にどうしたらいいのか、日々そのことだけを考えて過ごしている。死んでるように無理やり生かされている気分だ。

発達障害と仕事

ここのところ、とあるプロジェクトを手伝っている。

プロジェクトリーダーが積極奇異なのか

あれこれ手をだしてどの仕事を完結しない。

目立たない事務的作業がリーダーは苦手なのだ。

しかし、事務作業をしなければサービスを利用している人に迷惑や不便をかけるのだ。

サービスを使っていたのだが、事務作業の滞りがひどく、仕方なしに手伝っている。

そのリーダーがまたもや新しいことを手がけようとしている。

お金とってやってるならもうちょっとちゃんとやれ、と思う。

 

私?すごく安い報酬で請け負ってます。

ある程度カタチになったら身を引きます。

他人からみたら私も積極奇異だと思うので自戒を込めて。

殴ったって育たない。

昔からできなかったあれこれ。

宿題、兄弟と仲良くすること、運動・・・

 

許されることなく、できることもなく、やり方はいろいろあれど

シバかれてそのまま。

フォローなんてはいったことはない。

未だに何が悪かったのかわからないことだってたくさんある。

 

わかろうと努力している最中に

「なぜできない」と殴られていた。

私は理解力が早い方でもない。

だから、一方的に殴られ続けた。

 

しかし、発達障害がわかって独特の思考回路を持つことをしったりすると

理解力にスピードをつけることってなかなか難しいことがわかる。

あくまで「自分のペース」なのだ。

 

そして、殴ったところで治らない。

むしろ突き放され、自己肯定感が下がり、社会へ出る頃には

社会不適合者となって成長してしまう。

むやみに殴るばっかりではうまく育つ子も育たないよ、と

言ってあげたくなる親御さんたちと居合わせることがある。

世代・環境・・・いろんな要因はあるけれど

どこか発達障害だけでなく、すべての生涯を「不便なんやなー」と

哀れ感なしに受け入れててもらえれば、当事者が頑張ることのできる仕事は

うまく整理され、上手くこなすことができるとおもう。

 

今日もうまくかけなかった orz

自尊心のかけら

「自尊心・自己肯定感がなさすぎる」

 

先日、クリニックで投げられた言葉だ。

普段からアダルトチルドレン丸出しだしで

「自尊心?それって食べれるの?」

と、ついマジレスしてしまい、医者に呆れられた。

 

個性を出すことが否定されがちな日本で生まれ、育ち、

親には「自分を抑圧すること」だけを教えられた。

素直に従えるわけがないので親にはよく殴られた。

学校の先生には「成績」という形で殴られた。

屈折したまま大人になり、社会になかなか馴染めず今に至る。

 

時間を巻き戻すことも、取り戻すこともできない。

この自尊心を失ったままの時間だけ取り戻すのにかかる気がする。

簡単に取り戻すことができるのだろうか?

医者や心理療法以外にもいろんなセラピーと呼ばれるものがあるけれど

どれもこれも胡散臭い印象でしかない。

 

こんな虚しいときだけをただ淡々と刻んでいく。

治らない。それが障害。

「あなたは治りません。障害だから」

 

自己受容がまったくできてない過去の私に当時の医者はそう言い放った。

発達障害

脳の器質障害。いろいろとかたよりがあって生きていくのは大変・・・

その程度のことしか知らなかった。

ましてや、大人の発達障害なんて診断してもらったときには

本やウェブで情報発信している人も少なかった。

私は診断をうけたとき、「ああ、やっぱりなー」ぐらいだった。

診断されたからといって、忘れっぽいのだとか

リズム的に動くことが難しいとか、不器用とか

治る気配はまったく感じなかった。

ただ、生きるための工夫はしないといろいろ不便なので

それを教えてほしかった。

ほかの人がどう工夫しているのか。

その片鱗を教えてもらうことで、私に落とし込むことができ

少しでもこの「生きづらさ」が減ればいいな、とおもった。

しかし、医師は投薬治療のみをするという。

投薬だけなら他院でもできるのでしばらくして通院の都合が

いい病院へうつった。

 

小さい頃から手のかからない子供だった。

持ち物を忘れていくことはときどきあったけれど

宿題はこなすし、テストもそこそこできていた。

しかし、私は母にいろいろ殴られて育った。

私が小さいながら、年のさほど違わない弟に嫉妬だったりで

意地悪したのが悪かったのだろうけれど、

それ以外にも不条理に殴られていた気がする。

おそらく発達障害の子供の育てにくさを感じていたのだと想像するけれど

当時はそんな言葉の片鱗なんてものもなかったので、

説明してもわからない子として映っていたのだとおもう。

 

発達障害の子の障害たるあたりは殴っても治らない。

寧ろ自己否定の道へまっしぐら。ウツになるだけである。

私自身、殴られまくって育ったせいか、愛情というものは

「条件付きの愛情」しか世の中に存在していないと思っている。

私に「一番の愛情」を注いでくれた人はいないと思っている。

実親ですら、弟の次に、私。という位置づけなのがよくわかる。

だから、今や「恋愛がー」とかいわれると「馬鹿じゃね?条件付きでしょ?」と

可愛げもなく言い返してしまう。

 

だから、周りの友達が無条件の愛情のもと育てられているのをみると

それだけでなんだか不快感だったり、嫉妬だったり、

とにかく仲良くできない気がしてしまう。

 

他人を愛することも、赦すことも難しい。

できないといってもいいぐらいだ。

これも殴られたって改善することはない。

こんな年齢になってしまってから改善させることも

正直「人間の中身を入れ替えろ」と言われているようなもの。

1日2日では治らないと思う。

 

こんな絶望感は、

 

1日を無駄に過ごし、

1年を棒に振り、

一生を台無しにするのだろう。

 

どうか、こんな人生、私で終わりますように。